土曜日, 2月 17, 2007

おれの復讐

おれの復讐
2001年6月11日、月曜日。この日、辻裕二は午前9時半ごろに家を出た。自宅は東京都F市K町1丁目のアパートK101号室である。トイレと小さな風呂のついたアパートだ。決して広くはない部屋だったが、辻は出るとき、「さよなら」と小声でつぶやいた。長年住み慣れた部屋を目にするのも、これが最後だった。もう二度とここに戻ることはない。辻は名残惜しそうに部屋を見渡して、ドアを閉めた。空はどんよりと曇っていた。辻は緑色の薄手のジャンパーに、白っぽいチノパンを履いていた。今の辻は無職である。4年前に勤めていた会社を解雇された。それ以来、ずっと無職だった。そして、3年前から母親のツネとふたりで暮らしている。ツネは辻が出かける30分ほど前に出かけていた。近所のスーパー「M」へ行ったのである。それは辻の再就職のことであった。無職の息子をどうか雇ってほしいと頼みに行ったのだ。本来ならば辻も一緒に連れて行くべきなのだが、「行きたくない」ということで辻は拒否していた。はっきりと、「行きたくない」と言ったわけではないが、ツネが何を言っても返事もしない。黙りこくってうつむいている。あるいは、「なんだよ、なんだよ・・・」と聞き取れないくらいの小声でつぶやいているだけだ。それでもツネがひとりでスーパーの面接の相談へ行ったのは、「今日、おかんがスーパー行って聞いてくるから、オッケーなら午後にでもお前を連れて行く」ということだった。つまり、先に行って面接を受け付けてくれるかどうか聞いてきて、受け付けるなら辻を連れて出直す、ということだ。スーパーは「店員募集」の張り紙をしているし、面接で通れば、明日からでも雇ってくれるだろう。無職の身なら喜ばしいはずだが、辻の表情は陰惨に暗く沈んでいる。働きたくないのだ。なぜか?うまい理由は本人も見つけられなかった。ただ言えることは、「そんなことをしたら、おれの復讐ができなくなってしまう・・・」ということである。辻は何に対して復讐しようとしているのか。それはただひとつ、「今まで散々自分を苦しめてきたおかんに復讐する」ということである。もう何年も何十年も前から心の底でひそかに望んできたことだった。それを今日、実行に移すのだ。復讐の計画はしっかりと頭の中で立ててある。「思えば、くだらねえ人生だった・・・」死を覚悟の復讐を前にして、辻が思うのはそのことだった。
辻は37歳だった。この37年の人生を振り返ってみても、「ろくなことがなかった・・・」と思う。あるのはただ、母親への激しい憎悪と復讐心だけである。それだけが今まで辻を支えてきたとも言えよう。とぼとぼと道を歩きながら、「だが、それも今日で終わる。おれはこの日のために生きてきたんだ・・・」と自分自身に言い聞かせていた。
午前10時ごろ、辻はF市S町のホームセンター「K」にたどり着いた。ここで辻は、刃渡り40センチほどの肉厚の牛刀を買った。それとゴムの滑り止めのついた軍手一着。これらのものをビニール袋に入れて、辻は店を出た。そのまま辻は道路を渡って正面の学校法人「M学園」に向かった。北側の正門から学園内に入った。入り口の守衛室には人がいたが、誰も辻を見咎めるものはいなかった。まっすぐ歩いていって、中学の校舎の前で右に曲がった。道なりに歩いていくと、そこに小学校の校舎がある。学園本部に面した昇降口から、辻は校舎に侵入した。ちょうど休み時間で、廊下には小学生の姿が目立つ。辻は土足で上がったのだが、途中、教員とすれ違ったときも、別に怪しまれることはなかった。教員のほうも、「誰かの父兄か学校と取り引きのある業者だろう」と思ったようだ。辻は一直線に廊下を進んだ。小学校の間取りは、だいたい知っていた。以前、学園祭で一般に開放されたとき、何度か訪れたことがあったのだ。そのときとまったく変わっていなかった。
やがて辻は、1階の1年松組の教室にたどり着いた。ここの小学校では、3クラスを「松竹梅」で分けて呼んでいるのだ。辻は袋から軍手を取り出して両手にはめ、さらに牛刀を取り出した。教室の戸は開いていた。室内をのぞくと、20人前後の生徒がいて、おしゃべりをしたり、絵を描いたりしている。誰もまだ辻の存在に気付いていないようだ。辻は何も言わずに後ろから教室に入った。「最初に目が合った子どもから殺す」と決めていた。この学校の子どもたちに恨みがあるわけではない。ただ、「子どもなら大人より弱いから抵抗されないし、一度にたくさん殺せそうだから」という理由だった。右手に牛刀を握り、教室の中ほどまで進んだとき、「あっ・・・」ひとかたまりになってしゃべっていた男子児童のうち1人が振り向き、辻と目が合った。「殺せ」と誰かが命じたような気がした。次の瞬間、辻は目が合った男の子を刺していた。刃先はズブリとやわらかい胴体に食い込んだ。力を込めて引き抜くと、白い半袖の制服から真っ赤な血がほとばしった。「きゃー・・・」どこかで悲鳴が聞こえたような気がした。もう頭の中は真っ白だった。
あとは無我夢中であった。すぐそばにいた男の子に牛刀で切りつけた。首を狙ったつもりだったのだが、こめかみから顎にかけて切り裂いた。血が滝のように流れ落ちて、制服を真っ赤に染める。「首を狙え、首だ・・・」自分に言い聞かせながら、辻は次々に子どもたちに切りかかった。横から首を狙って切りつけると、「ぴゅーっ」頚動脈が切断されたのだろう。噴水のように血が噴き出した。辻も返り血を浴びた。メガネのレンズに飛びかかった血しぶきを左手の軍手で拭った。子どもたちは絶叫しながら逃げ惑っている。机やイスが邪魔して、なかなか逃げられない。それを追って切りつける。女の子の髪の毛をつかんで引き寄せ、脇腹に牛刀を突き刺すと、「うえーっ・・・」なんとも形容しがたい悲鳴を上げた。床に転んだ男の子の背中を刺し、脳天に牛刀を振り下ろす。顔に生あたたかい血が飛び散る。子どもたちは泣き叫びながら、必死に教室のドアを開けて外へ逃れた。教室の外は人工芝を敷き詰めたテラスになっている。辻も追って外へ出た。隣の1年竹組の教室へ逃げようとする子どもたちを追いかけながら、「うわーっ・・・」辻は野獣のような雄たけびを上げた。テラスで何人かを捕まえて切りつけ、腹や胸を刺した。切りつけつつ、刺しつつ、竹組の教室に押し入る。「きゃーっ・・・」竹組でも辻は鬼のような形相で牛刀を振り回した。「できるだけ多く殺したい」と思っていた。「少なくとも10人は殺したい」と思っていた。たかが2,3人を殺したぐらいでは満足できなかった。これは自分を苦しめた母親に対する復讐である。母を苦しめ、恥をかかせるためには、たくさんの犠牲者が必要なのだ。歴史に残るような大事件にしなければならない。そのためには一撃で致命傷を与えなければならない。辻は子どもたちの首や胸など急所を狙った。だが、さすがに暴れているうちに息が切れてきた。もう40に近いのだし、もともと体力がない。「もっと、もっと殺さなければ・・・」と焦って牛刀を振り回すが、すばしっこく逃げられてしまい、かすり傷しか負わせられない。教室の隅っこに追い詰められた女の子が数人いた。辻はすかさず牛刀で突き刺し、さらに顔や頭を切りつけ、牛刀の柄で殴った。「死ね、死ね・・・」そこに異変を知らされた教員が2人駆けつけてきた。「こらっ!やめろ!やめないか!」教員たちは必死に制止したが、とても聞くものではない。「邪魔するな!」辻はカッとなって、取り押さえようとした教員の腕に切りつけた。もう1人は教頭で、果敢にも机を盾にして、辻に立ち向かった。腕を傷つけられた教員も、掃除用具のロッカーからモップを持ち出し、向かってきた。
こうなると、辻は防戦一方である。「うわーっ・・・」わめきながら、必死に牛刀を振り回すが、「こいつ!」若い教員がモップで牛刀を叩き落した。教員が机で辻を押さえつける。辻はなおも暴れたが、「おとなしくしろっ!」と一喝されると、急に抵抗をやめた。そして、ふてくされたように、「殺せ、おれを殺せ」とつぶやいた。
教員の通報で、F署の警察官がパトカーで駆けつけた。辻は殺人などの現行犯で逮捕された。捕まったとき、辻は頭から足まで返り血を浴びて真っ赤に染まっていた。まるで地獄からやってきた悪鬼のような姿である。手錠をはめられ、パトカーまで連行されていくとき辻は、「やったぜ、やったぜ・・・」とつぶやきながら、力なく笑っていた。もう死んでもいいと思った。これで母親への復讐は果たせたと思った。
学校は戦場のような騒ぎになっていた。凶行の現場となった1年松組と竹組の教室は血の海だった。教室の床といい壁といい天井といい血まみれである。すでに息の切れた子どももいれば、重傷にあえぐ子どももいた。次々に救急車がやってくる。上空にはテレビ局のヘリコプターも飛んできた。中継の映像が校庭に避難した子どもたちの姿を映し出す。各局が予定を変更して事件のニュースを伝えた。「お伝えしておりますように、今日午前10時15分ごろ、東京・F市のM学園付属小学校に刃物を持った男が押し入り、児童らに次々に切りつけました。これまでに入った情報によりますと、少なくとも4人が死亡、15人が重軽傷を負ったということです・・・」
その頃、ツネは浮き足立ってアパートの部屋に戻ってきたところだった。スーパーの店長に事情を説明したところ、すぐにでも面接に応じるというのだ。「ユージ、面接してくれるそうだ。今すぐ行こう。ユージ・・・」だが、部屋にはいたはずの辻の姿がどこにもない。「おい、ユージ。どこにいるんだ?ユージ」捜したがトイレにも風呂にもいない。靴がないことに気付いて、「逃げたのか?まったく、どこまで世話が焼けるんだ、あのバカは・・・」ムラムラと怒りが込み上げてきたが、どうせすぐに戻ってくるだろうと思った。それまで待っていようと思い、テレビをつけたところ、信じられない映像が飛び込んできた。「逮捕されたのは、F市無職の辻裕二容疑者37歳で、『たくさん人を殺して死刑になりたかった』などと犯行の動機を供述しているということです・・・」ツネは何が起きたのかまったく理解できなかった。しばらくして、電話が鳴った。受話器を取ると、「あー、こちらF警察署の者ですが・・・」
辻はF署で取り調べを受けていた。取り調べには淡々と応じていた。凶悪犯によくあるようなふてぶてしさはなく、まるで他人事のように話すのが特徴だった。
捜査員が訊いた。「なぜ、こんなことをしたんだ?」「死にたかったから」「あの学校に恨みでもあるのか?」「ない」「ならなぜあの学校を狙った?」「どこでもよかった。大きな学校なら」「大きな学校を狙ったのはなぜだ?」「有名になると思ったから」「有名になりたくてやったのか?」「有名にしないといけない」「なぜ?」「復讐にならないから」「復讐?誰に復讐したかったんだ?」「おかんに」「母親か?」「おかんに恥をかかせて、苦しませるためには、こうするしかなかったんだ」「なぜ母親に復讐しようと思ったんだ?」「憎いから」「ずっと復讐しようと思っていたのか?」「そうだ」「なぜ母親を殺そうとは思わなかったんだ?」「殺せば一瞬で終わるから」「何が?」「苦しみが」「母親を苦しませたくてやったのか?」「これから一生苦しむことになるんだ。おれのしたことで・・・」そう言って、辻は低く笑った。ほとんど感情のない顔を引きつらせ、「くっくっくっくっ・・・」と気味の悪い笑い声を洩らす。「こんなことをして、悪いと思ってるのか?」「思わない」「お前が殺したのは年端もいかない子どもたちなんだぞ」「いい気味だ」「なんだと?」「一生懸命勉強していい学校に入っても、おれみたいなクズに殺されてしまう世の中の理不尽さを分からせてやりたかったんだ」「ふざけるな!子どもたちに何の罪があるって言うんだ!」捜査員が激昂して机を叩いた。「すでに4人死んでる!病院に運ばれた4人も重体だ!負傷者だけで15人もいるんだぞ!」「・・・・・・」辻は無表情のまま黙っている。「申し訳ないとは思わないのか?少しは頭を下げて謝ったらどうだ?」「・・・・・・」「お前は自分の母親だけじゃなく、無関係の子どもたちの親御さんまで苦しめてるんだぞ?」「・・・・・・」「おい、聞いてるのか?どう思ってるんだ?何とか言ったらどうなんだ?」「おれには黙秘権がある。しゃべりたくないことはしゃべらない」「母親には何か言いたいことがあるだろう?」「何もない」「何もないだと?」「言いたいことはない。来たら追い返してくれ」そう言って、辻は再び黙り込んでしまった。
ツネはF署に駆けつけた。すでに周辺はマスコミでごった返していた。人ごみを掻き分けながら署内に入った。「あの、うちのユージは?ユージはどこなんです?」わらにもすがる思いで署員に尋ねたが、「お母さんですか?面会はダメですよ」「なんでユージがこんなことをしたんです?なんでです?」「今は取り調べ中です。会わせることはできません」「本当にうちのユージなんですか?別人じゃないんですか?」「お宅の電話番号を言ったんですから、別人ということはないでしょう」「お願いです!ユージに会わせてください!お願いします!」「これは規則です。会わせるわけにはいきません」と、そこに担当の捜査員が通りかかった。捜査一課の金野という刑事である。辻の取り調べに当たっていたが、まったく埒が明かず、困り果てていたところだった。「あなた、お母さんですか?」「そうです。ユージは何て言ってるんでしょうか?」「何も言いません」「ユージと会わせてください!お願いします!」金野は少し考えたが、「いいでしょう。ただし、5分だけですよ」独断で許可したのである。「いいんですか?勝手にそんなことして」「構わん。5分だけだ」
さっそくツネは辻のいる取調室へ連れて行かれた。ドアが開き、ツネが入ってきた。辻は、「もうどうにでもしてくれ」といった感じで、イスにもたれかかっていたが、ツネが入ってきたのを見て、急に態度を改めた。まさか、こんなところまで来るとは思わなかったのだろう。ツネはゆっくりと辻に歩み寄った。「ユージ、お前、なんだってこんなことを・・・」辻の顔にはまだ生々しい血痕が赤黒くこびりついている。これを見て、ツネも自分の息子のしでかしたことに疑う余地もなくなったようだ。「お前、何のためにこんなことをしたんだ」ツネの声は重々しい怒りに満ちていた。辻はニヤニヤと笑っている。「苦しめ、もっともっと苦しめばいいんだ・・・」などと思っているようだ。「お前、おかんを困らせようと思ってこんなことをしたのか?」ようやく、ツネも辻の真意を悟ったようだ。「図星だな?そうなんだろ?」辻はさも愉快そうに薄ら笑いを浮かべている。「おかんが憎たらしかったら、おかんを殺せばよかったじゃないか」辻は何も答えない。「なんでおかんを殺さなかったんだ?え?なんでだ?何がおかしいんだ?え?」ツネは怒りと悲しみを抑えきれなくなってきた。自分は息子のために精一杯のことをしてきたのだ。息子を愛することはあっても、今まで憎たらしいと思ったことはない。自分がなぜ憎まれなければならないのか。なぜこんなことをしなければならないのか。自分が憎ければ自分を殺せばいい。なぜ関係のない子どもたちを殺さなければならなかったのか。「答えろ。なんでこんなことをしたんだ。え?答えろって言ってんだよ」声が震えていた。せせら笑って何も言わない辻を見ているうちに、感情を抑えきれなくなった。
「このバカタレ!」言葉より先に手が出ていた。ツネの筋張った手が辻の頬を直撃した。辻は慌てて身構えたが、すでに遅い。容赦ないツネの鉄拳制裁が辻の頭上に降り注ぐ。「このバカ!バカ!バカ!なんでおかんを殺さなかったんだ!バカタレ!」金野は止めようとしなかった。ツネは息が切れるまで辻を打ち続けた。本当は打って打って、この手で打ち殺してしまいたかった。「このバカが・・・お前なんか産むんじゃなかった・・・なんだって、こんなことを・・・」ツネは泣きたかったが、もう涙も涸れてしまったようだ。泣きたくても心から泣けないのである。あまりにも息子が情けなかった。手塩にかけて育ててきた結果がこれなのか。「さあ、お母さん。もういいでしょう・・・」金野に抱きかかえられるようにして、ツネは取調室を後にした。辻は出て行くツネの背中に嘲笑の視線を送った。
この日の夕方までに、事件の犠牲者は8人に増えた。病院で手当てを受けていた4人が、治療の甲斐もなく、息を引き取ったのである。死亡者は次の通り。
1年松組 木内裕也 6歳 即死1年松組 瀧見勇喜 6歳 即死 1年松組 佐伯多志貢 6歳 即死1年松組 松山広信 7歳 即死1年松組 吉野冴香 6歳 2時間半後死亡1年竹組 榎本教代 7歳 3時間後死亡1年竹組 平田裕美 6歳 4時間後死亡1年竹組 伊藤有為子 6歳 8時間後死亡
さらに負傷者は15人に達した。
1年松組 黒沢伸行 6歳 全治2ヵ月1年松組 野崎元博 6歳 全治2ヵ月1年竹組 井上嘉一郎 7歳 全治3週間1年竹組 桧山陽一郎 6歳 全治3週間1年竹組 箕輪光貴 6歳 全治2週間1年竹組 阿部早紀子 7歳 全治2週間1年竹組 今井靖子 6歳 全治2週間1年竹組 大浦朝実 6歳 全治2週間1年竹組 小野あずさ 6歳 全治2週間1年竹組 北地祐美 6歳 全治2週間1年竹組 杉森玲奈 6歳 全治2週間1年竹組 田河理紗 6歳 全治2週間1年竹組 竹下順子 6歳 全治2週間1年竹組 田中愛 6歳 全治2週間1年松組担任 黒木一郎 45歳 全治2週間
男4人、女4人が死亡、児童14人と教員1人が負傷したので、全部で23人が死傷したことになる。まさに大事件であった。日本国中が衝撃を受けた事件だったが、事件のはっきりとした動機などは見えてこない。「誰でもいいからたくさん殺して死刑になりたかった」というのが辻の語った動機だが、そこまでしてやり遂げたかったものは一体何だったのだろうか。
辻裕二は1963年10月17日、愛知県名古屋市で生まれた。東京オリンピックの開かれる前年である。まさに時代は高度経済成長の真っ只中であった。辻の父親は地方公務員で、母親は専業主婦である。2つ年上の兄・裕一と4人家族だった。だが、母・ツネはなぜか長男の裕一よりも次男の裕二を溺愛した。これはなぜか?理由は出産時の違いである。裕一が安産だったのに対し、裕二は難産で、しかも生まれながらに虚弱児だった。母乳を与えても吐いてしまう。だから、ツネはわざわざ高価なアメリカ製の粉ミルクを買ってきて与えるほどだった。少しでも目を離すと喘息の発作を起こす。ゆえにツネは四六時中、辻に付きっきりだった。成長してからも、「ほら、カゼひくからちゃんと着てけ」だの、「ほら、もっともっと食べろ。これも食べろ」だのと口うるさく辻の健康管理に気遣った。夏でも薄着させず、冷たいものや辛いものもダメ。栄養のあるものをあれもこれもと食べさせた。それはいいのだが、結果として、ツネの過保護は辻から自立心を奪い取ってしまう。しかもツネは単なる過保護ではなかった。学歴社会の中で、我が子を落ちこぼれにさせまいとして、幼少の頃から猛勉強を課したのである。自分に学歴がなく、社会に出て苦労しただけに、「ユージだけは落ちこぼれにさせたくない」という思いは強烈だった。辻は小学校に入る前から、外で遊ぶ暇もないくらいに勉強ばかりさせられた。そのおかげで、小学校での辻の成績は常にトップクラスだった。しかし、勉強しかしたことのない辻は、圧倒的にコミュニケーション能力に欠けていた。同世代の子どもたちが知っていて当たり前のマンガやアニメやオモチャといったものをまったく知らないので、友達を作れず、いつも教室では孤立していた。それに運動をしたことがないので、勉強は出来ても、体育だけはいつもダメだった。当然、辻はイジメの標的となった。毎日、ツネに連れられて学校にやってくる辻に与えられたあだ名は、「デブ」あるいは、「マザコン」であった。いじめられても何ら反論できず、いつもうつむいて小声で、「なんだよ、なんだよ・・・」とつぶやくことしか出来ない辻は、いじめっ子にとっては最高の獲物だったのである。言葉によるイジメは、やがて暴力を伴ったイジメへとエスカレートしていく。動きの鈍い辻は、いつも殴られたり、蹴られたりして、いじめっ子たちのストレスのはけ口となった。やがて、ツネは辻が学校でいじめられていることを知る。ランドセルやズボンに残った足跡から、辻が日常的にイジメを受けていることは容易に察しがつく。ツネは辻を問い詰めたが、辻は頑としてイジメの事実を否定した。そんなことを言えば、余計にクラスの連中からいじめられるに違いないと思ったからである。実際、ツネが学校の担任に頼んで、辻へのイジメをやめさせようとしたが、「おい、デブ。お前、なんでママにチクってんだよ」「やい、マザコン。お前、まだママのオッパイ吸ってんだろ?」などとからかわれ、さらにイジメがひどくなるばかりであった。辻はじっとイジメに耐えた。他に対処する術を知らなかったからである。「おれがこんな目に遭うのも、みんなおかんがいけないんだ。おかんのせいでいじめられるんだ・・・」気の弱い辻は、いじめられた恨みをツネに向け、蓄積させていったのである。
辻が中学3年生のとき、ある事件が起こった。兄・裕一が電車に飛び込んで自殺したのである。遺書などはなく、自殺の原因は不明だった。しかし、辻は兄の自殺の原因がツネにあると思い込んだ。兄の命日がツネの誕生日だったからである。かねてから弟ばかりかわいがる母を裕一は憎んでいた。兄弟でどこかへ出かけたときも、「ほら、ユージ。これ食べろ。これも・・・」とか、「ほら、ユージ。お前にこれ買ってやったぞ。ほら・・・」というように、同じ兄弟でも明らかに弟とは扱いが違うのである。それを見た周囲の人間も、「裕二君ばかりじゃ裕一君がかわいそうですよ。裕一君ももっと・・・」などと忠告したが、「いいのいいの。裕一は手がかからないから。ユージと違って・・・」と答えるのが常であった。これでは裕一もたまったものではない。おまけに辻も、「おれは兄貴より劣ってるんだ。兄貴よりダメな奴なんだ・・・」と劣等感を抱くようになる。そして、兄の自殺である。辻はツネを深く憎むようになった。「兄貴はおれのことばかり構って、自分を構ってくれないおかんを恨んで自殺したんだ。だから、わざわざおかんの誕生日を選んで自殺したんだ。兄貴を殺したのはおかんなんだ・・・」
兄の死後、辻とツネの関係はさらに深まった。父・裕造は無口で陰気な男で、家庭内のことはすべてツネに任せていた。辻は裕造とほとんど会話らしい会話をしたことがなかった。兄が死んだときも無表情で何も言わなかった。「オヤジもオヤジだ。おかんに何も言えないなんて・・・」家庭内でまったく存在感を示さず、ツネの言いなりになっている裕造を見て、「おかんも悪いがオヤジも悪い」ツネだけではなく裕造に対しても憎悪を募らせ、「おれは不幸な星の下に生まれてきたんだ」と自分で自分を慰めるのが日常となっていった。
辻は二浪して、東京の大学へ進んだ。東京で一人暮らしを始めた辻は、「これでやっと、おかんの束縛から解放される」と思い、ひそかによろこんだ。ところが、ツネは毎週必ず上京してきて、あれこれ口うるさくちょっかいを出す。週末やってきて、そのまま泊り込むこともあった。辻は、「おれはどこまで行っても、おかんから自由にはなれないのか・・・」と思い、深く失望した。それだけではない。大学を出て、都内に本社のある「S商事」という中堅商社に勤めるようになると、「お前も大学出て、立派な社会人になったんだから、早いとこ結婚しろ。いい嫁さんを見つけて、早く家庭を持て」としつこく結婚を迫るようになったのである。これまでは何でも言われたとおりに従ってきた辻だが、「結婚だけは無理だ」というのが本音だった。それはなぜか?
辻が結婚できない理由は、「女が嫌い」だからである。ツネを深く憎むあまり、「女は汚らわしい」という固定観念があり、「女とは一緒になれない」のである。事実、学生時代も異性との交際経験はゼロだし、「女なんか興味もない」辻なのである。他の学生がデートだスキーだレジャーだと浮かれているとき、「そんなのやるより、ファミコンのほうがおもしろい」と言って、ピコピコ遊んでいた辻なのだ。テレビ・ゲームの中では、傷つくこともないし、自分が勝者になれる。辻が唯一、心を許せるのがこの狭い仮想空間の中だけであった。本当は、「このまま一生好きなゲームをやって、なんとなく過ごせたらいいんだけどなあ・・・」と思っていた。だが、ツネはそれを許さなかった。いつまでたっても彼女ひとつ紹介しない辻にしびれを切らし、「ほら、ユージ。見合い写真を持ってきてやったぞ。この中から好きなのを選べ。ほら・・・」などと大量の見合い写真を持ってやってきて、辻に結婚を迫るのだ。「なんだよ、いいよ、そんなの・・・」「何がいいんだ?え?どれだ?」「いいよ、そんなの・・・なんなんだよ・・・」「え?何?聞こえない。はっきり言え」ツネは耳が遠いのである。辻はうざったくて仕方なかった。「だから、いいって、そんなの・・・」「何がいいんだって?え?」「もう、なんなんだよお・・・」「え?何?お前、さっきから何言いたいんだ?え?」「もおいいよお・・・帰れよ・・・」「何が帰れだよ?え?誰のためにこんなことしてやってると思ってんだ。え?お前のためじゃないか。え?おかんがわざわざ頭下げて、いろんなとこ回って、重たい荷物しょって、東京まで来てやってんのに何だその態度は?え?お前、ふざけんじゃないぞ。自分じゃ何にもできないくせに、何が帰れだ。え?お前、自分から結婚相手見つけてきて結婚できんのか?え?できないから、こうしておかんが手回してやってるんじゃないか。え?それをなんだと思ってんだ?え?誰のためだと思ってんだ?え?」ツネの攻撃は容赦を知らない。このあと延々と説教が続くのだ。辻は本当にうざったかった。自分はただ、自由に生きたいだけである。それがなぜいけないのか?「結婚しない」という理由だけで、なぜこうも叩かれなければならないのか。「それもこれも、みんなおかんがいるからだ。おかんのせいでおれは苦しめられるんだ・・・」辻は結婚を迫られるたびに、ツネを深く深く憎悪していくようになった。いっそのこと、「おかんさえいなければ、おれは自由になれる。おかんを殺そう」と思ったことも一度や二度ではなかった。しかし、実行できない。面と向かってツネを殺すことなど、考えてみただけで怖くて震えてしまうのである。
辻はそんな自分が情けなかった。「結局、おれはどこまで行っても、おかんに頭が上がらないのか・・・」みじめだった。ますます陰気な性格になった。ツネの電話や訪問におびえながら、ファミコンにのめり込む毎日が続いた。辻は会社でも、「人付き合いが悪い」と評判だった。仕事が終わると、さっさと帰宅してしまう。買ってきた弁当を食いながら、夜更けまでファミコンで遊んでいるのだ。会社でのニックネームは、「ネクラ君」あるいは、「オタク」であった。周囲の評価は気にしない辻だったが、「結婚しろ。早くしろ」というツネの執拗な電話&訪問を無視するわけにはいかなかった。ツネはあきらめずにちょくちょくやってくる。そのたびに居留守を使うこともあったが、「ドアを開けろ!開けなきゃ窓を割るぞ!」と怒鳴られては、さすがに開けないわけにはいかない。電話だって無視していると、そのまま1時間でも2時間でもかけてくる。何の予告もなしにいきなりやってくることもある。間一髪で気付いて、慌てて押し入れに隠れたものの、一日中居座られたこともあった。身動きもできないくらい狭い押し入れの中で、辻は息を潜めながら、「ああ、なんだっておれは、こんなことをしてなきゃいけねえんだ・・・」と思い、悔しくて涙があふれた。せっかくの休日である。ツネさえ来なければ、好きなように過ごせたのだ。自分の部屋なのに、ほとんど身動きもとれず、トイレにも行けない。これなら刑務所のほうがマシだ、と思った。悪いことをして捕まったのなら、まだ我慢もできるし納得もいく。それに、刑期を終えれば自由になれるという希望もある。だが、自分は悪いことをしたわけではないし、おそらくこの先一生、こんなことが続くのだ。「こんなことが続くんだったら、死んだほうがマシだ・・・」と思った。思ってはみるが、とても自分から死ぬ勇気などない。ツネを殺すこともできないし、自殺することもできないのだ。「まったく、おれはダメな奴だ・・・」自己嫌悪感に苛まれつつも、「やっぱり、ゼルダの伝説はおもしれえ・・・」ファミコンをやっている間は何もかも忘れることができるのである。辻が人生の教訓として学んだことは、「とにかく、嫌なことからは逃げよう」であった。とりあえず逃げればいいのだ。黙ってじっと耐えていれば、「いつかは嵐も過ぎ去る」のである。だから、ツネが何か言ってきたら、「石のようになればいい」と思っていた。ファミコンさえあれば生きていけるし、まんざら人生も捨てたものではないのだ。
そんな辻の人生に大きな転機が訪れた。1997年3月、辻は9年間勤めた「S商事」をリストラされた。「明日から来なくていい」と言われたのである。会社の業績が悪化し、人減らしをするに当たって、まず選ばれたのが辻であった。大した仕事もせず、会議でも発言しない辻は、「やる気のない奴」と見なされたようだ。普通なら、「何とかして、次の仕事を見つけなければ・・・」と思い、奮闘することだろう。しかし、辻の場合は違った。「これで毎日会社に行かなくても済む」であった。もともと行きたくて行っていた職場ではない。やりたくてやっていた仕事でもない。ただ惰性でなんとなく通い、なんとなく勤めていただけである。他の社員と違って、家族を養う必要もないから、「クビになってラッキー」だと思った。「もう行きたくない会社にも行かなくて済むし、毎日ファミコンをやって遊んでいられる」と思った。自由になれたと思ったのである。「このことをおかんに黙ってさえいれば、おれは自由なんだ・・・」と思ってしまったらしい。辻は晴れ晴れとした気持ちになった。
その日から辻の「自由な生活」が始まった。もう朝起きて会社に行く必要はない。好きなときに起きて、ファミコンをして、腹が減ったら食べて、眠くなったら好きなだけ寝ればいいのである。退職金と貯金があるから、これでしばらくは暮らせると思った。蓄えが底を突いたときどうするのか。考えないことにした。いつもそうやって都合の悪いことから逃げてきた辻である。そんなことを考えるより、生まれて初めて手にした自由を精一杯謳歌したかった。好きなだけ遊んで、好きなだけ食って、好きなだけ眠る。最高の贅沢である。始めて1ヵ月もすると、「もうやめらんないな」と思った。見る見るうちに体重が増えた。近くのコンビニへ行くだけで息が切れるようになった。時々やってくるツネが、「お前、また太ったんじゃないか?」と嫌なことを聞いてくる。「お前、もう30過ぎたんだぞ。一体いつになったら結婚する気だ?え?このままじゃあ結婚できずに40過ぎて中年のオヤジになっちまうぞ。ただのデブになっちまうぞ。え?それでもいいのか?」じつに不愉快なことを平気でずけずけと言ってくる。ツネとしては、そうやってハッパをかけているつもりなのだが、「なんだよ、なんなんだよお・・・」辻にとってはウザイばかりである。「結婚しろ。早くしろ」会社という束縛からは解放されても、ツネという束縛からは解放されないのである。
同じ頃、辻はひとりの男と出会う。男の名は中三川幸也(なかみかわ・ゆきや)。1952年4月19日、栃木県真岡市生まれの一人っ子。早稲田大学英文科を中退し、学生運動で何度も捕まった経験のある左翼活動家だ。たまたま行きつけのパチンコ屋で知り合ったのが始まりである。当時、中三川は辻と同じく独身だった。「コントラ」というアングラ系の左翼雑誌の編集長を務めていた。世の中のありとあらゆるものに対して噛みつく癖のある男で、正直辻は、「かっこいい」と惚れ込んでしまった。聞いてみると、中三川の人生はまさに刺激的である。学生時代にマルクス・レーニンの本を読んで感銘し、「今こそプロレタリア革命を起こすときだ!」と息巻いて、学生運動に身を投じた。親に反対され、学費の支給を止められてしまうと、「おれは労働者とともに立ち上がるぞ!」と言って、せっかく入った早稲田を辞め、本格的な政治活動にのめり込んでしまう。「へえー、すげえな。すげえよナカミー・・・」親の言うことに逆らえず、何でも言いなりになって生きてきた辻にとって、中三川という男は、「初恋の相手」というべきほどの存在となったわけである。痩せて見栄えのしない暗い感じの男なのだが、話を聞けば聞くほど、「ナカミーってすごいな」と思ってしまう。1975年8月、中三川は成田空港の建設反対闘争に参加、千葉県三里塚で機動隊と衝突し、公務執行妨害の現行犯で逮捕されてしまう。「えっ、ナカミー警察に捕まったことあんのか?」「ああ。二度捕まったよ」「えっ、二度も?」「一回目は不起訴処分になったけど、二回目はアパートで爆弾作っててね、アウトだよ」中三川は当時住んでいた高田馬場のアパートで、運輸省の政務次官宅を狙い、爆弾テロを計画。そのための爆弾を作っていたところ、公安に踏み込まれ、あえなく御用となる。東京地裁で懲役5年の実刑判決を受け服役。服役中の77年9月、あの有名な「ダッカ事件」が起こった。9月28日、パリ発東京行きの日航機472便がインド上空で日本赤軍のメンバー5人に乗っ取られ、バングラデシュのダッカ国際空港に着陸させられた事件だ。犯人グループは乗客乗員151人を人質に、「日本国内で拘束中の日本赤軍メンバーら9人の釈放と身代金600万ドル(当時で16億円)」という要求を日本政府に突きつけた。福田首相(当時)は、「人命は地球より重い」という名言?とともに要求を受け入れ、6人の釈放犯(3人は出国を拒否)と身代金を現地へ送った。釈放犯には日本赤軍とはまったく無関係の泉水博(強盗殺人犯で無期懲役囚)も含まれていた。そして、犯人たちはアルジェリアで人質を解放、6日間に及んだ事件は終結した。この時、獄中にいた中三川は、「当然、おれも釈放される」と期待していた。中三川は日本赤軍の関係者とも親交があり、獄中で事件を知ったとき、「おれも日本を出て、アラブで革命戦士に加わり、いつの日か日本に戻って革命を起こすんだ!」と思い、興奮して寝つけなかったものだ。ところが、ハイジャック犯の出した釈放要求リストには、「中三川幸也」という名前は含まれていなかったのである。結局、中三川はそのまま日本の刑務所に取り残され、千葉刑務所で3年間服役したのだった。
「へえー、ナカミー刑務所にも入ったことあんのか」「あの事件があって、おれは国内での闘争に幻滅してね、出てから海外へ行ったんだ」刑務所を出所後、中三川はフィリピンへ飛んだ。1983年のことである。当時、フィリピンではマルコス大統領の独裁と腐敗に対する抗議運動が盛り上がっていた。中三川はルソン島でゲリラ活動を展開する「新人民軍(NPA)」という共産ゲリラに加わった。「へえー、ナカミーそんなとこまで行ったのか」「ああ、楽しかったよ。ゲリラと2年間、一緒に山で生活したんだ」中三川はフィリピンで革命が成功すれば、「ドミノ倒し的に東南アジアで革命が起こり、やがては日本にも革命が波及する」という考えを持っていた。「今思えば、甘い考えだったけど、当時は何でもファイトでやれそうな気がしてね・・・」85年8月、中三川は政府軍と交戦中に右足を負傷して捕らえられ、日本に強制送還された。その翌年、マルコス政権は軍と民衆の蜂起により崩壊。革命は成功したが、中三川の望むような革命は起こらなかった。武装闘争に限界を感じた中三川は、以後、暴力的な革命運動から身を引いたのだった。中三川の壮絶な半生の話を聞いているうちに辻は、「ナカミー、ナカミー・・・」中三川のことしか頭に思い浮かばなくなっていた。生まれて初めて恋した相手が、「中年のオッサン」だったのである。しかも独身だ。自分と同じ境遇である。いつも孤独に政治を論じている中三川を見ているうちに、「ずっとナカミーと一緒にいたい・・・」と思うようになっていった。
辻は頻繁に中三川を自宅へ招くようになった。最初のうちは、ただ酒を飲み語り合うだけだったのだが、「ナカミー・・・」そのうち辻の目つきが怪しくなってきた。中三川が酔って上機嫌で語っていると、「お、おい、なにしてんだよ?」下半身に違和感を覚えた。見ると、辻の手が股間をまさぐっているのである。「おい!どこに触ってんだよ!やめろよ!」慌てて辻の手を払いのける。「ナカミー・・・」「お、おい!よせよ!何すんだよ!」辻の重たい体が覆いかぶさってくる。熱くて臭い吐息が迫ってくる。「よせ!やめろ!やめろよ!おいっ!」中三川は窒息しそうになりながら、必死にもがいて辻を突き飛ばした。ホモっ気などない中三川はカンカンに怒っている。そのまま何も言わずに出て行く中三川を追って、「おい、待てよ!ナカミー!」後ろから辻が抱きつき、再び股間をまさぐる。「やめろ!」辻を払いのけ、中三川はすばやく走り去った。
この一件があって後、すっかり中三川は寄り付かなくなってしまった。辻と道端で出会っても、冷たく無視して通り過ぎていってしまう。辻は完全に嫌われてしまったのだが、それでも中三川をあきらめることはできなかった。
それからというもの、辻はしつこく中三川に付きまとうようになった。ストーカーである。仕事もしないし、他にやることもないのだから、余計に執念深くなる。時間もたっぷりある。朝から晩まで、辻は中三川を追い回した。中三川もそれに気付いたのか、徹底して辻を無視する。無視されればされるほど、辻も陰湿になる。無言電話をかけたり、深夜に電話をかけっ放しにしたりした。いつしか中三川への思いが、「愛着から憎悪へ」変わってしまったことに辻は気付いていない。
さらに追い討ちをかけるような出来事があった。中三川が結婚したのである。98年3月、辻がリストラされてから1年後のことであった。それまで中三川が住んでいたアパートから突然姿を消し、「ナカミーは一体どこへ行ったんだ?」不安になって、アパートの管理人を問いただしたところ、「なんでも結婚されるそうで、マンションへ移ったそうですよ」というので、辻は愕然となった。さっそく、中三川の新居を突き止めて向かってみると、確かに幸せそうな中三川の姿がある。新居には真新しい家具も運び込まれ、まだ若い中三川の妻もいた。辻はカッとなった。外で中三川を捕まえて、「ナカミー、結婚したそうじゃないか!一体どういうことだ?」問い詰めてみると、「こういうことだ」そっけない返事。「なんでおれに一言も言わずに・・・」「なんでお前に言わなきゃいけねえんだよ」嘲笑を浮かべて言う中三川に辻は怒りを抑えきれず、「チクショウ!なんでだ!なんでだナカミー!」中三川の首を絞めた。「やめろっ!」中三川は難なく払いのけ、「いいか、今後二度とおれの前に姿を見せるな。どっかに失せろ」と言い残して、去っていった。辻は怒りと悔しさで涙に満面を濡らしながら、「ナカミー・・・今に見てろよ・・・絶対このままじゃ終わらせないからな・・・」と誓った。
冷静に考えてみれば、中三川が結婚してはならない理由など存在しない。辻が結婚しないのは、「辻が女嫌いなだけ」であって、中三川がこれまで結婚しなかった理由には当てはまらないのだ。それをどう思ったのかは知らないが、「ナカミーが結婚したのは、おれを裏切ったからだ」と辻は決め付けてしまった。中三川はホモではないし、女嫌いでもない。以前から職場で付き合っていた相手がいたのだが、辻が知らなかっただけである。しかし、辻は自分に対する当てつけ、嫌がらせだと受け取った。そして、中三川を離婚させるために、ありとあらゆる嫌がらせをしてやろうと思ったのである。そうしなければ、自分がみじめでみじめで仕方なかった。いったん思いつめたら何をするか分からない男なのである。
それはもう執拗を極めた。辻としても必死である。ドアのポストに小便を流し込んだり、中三川が入浴中に外のガス栓を閉めたりした。シャワーを浴びていて、いきなり温水が冷水に変わるのだからたまらない。寝静まると、待っていたように電話がかかってくる。出てもすぐに切ってしまうので、無視していると、そのまま何時間でも鳴らし続ける。ちょうどその頃、中三川に子どもが生まれた。40を過ぎて初めてもうけた長男に中三川は「等」と名付けた。それを知った辻は狂ったようにストーカー攻撃を仕掛けてくる。中三川は、このままでは嫉妬に狂った辻が何をしでかすか分からないと思い、不安で夜も眠れなくなった。そこで辻を呼び出し、ストーカーをやめるよう警告したのだが、「おれにストーカーをやめろだってえ?おもしれえ。やめなかったらどうするって言うんだ?」「その時は警察に訴えるぞ!これは脅しじゃない!本気だ!」「へえ、警察に訴えるって?おもしれえ。やってもらおうじゃねえか。どうせおれは無職だ。家族なんて年寄りの親だけだ。今さら失うものなんて何もねえんだ。いつ死んでも惜しくねえ命だ。勝手にしろってんだ。その代わり、おれもただじゃ捕まってやんねえ。ナカミーがサツにチクったら、おれはナカミーの女房とガキをぶっ殺してやる。どうだ?そっちが本気ならこっちも本気だぜ。それでいいんだな?」「・・・・・・」失うものがないというのは強みである。辻は中三川の立場を知っていて、中三川が強気な態度に出られないと踏んでいるのだ。
ストーカーは日増しにエスカレートしていった。チャイムを鳴らすので表に出てみると、「うわっ!」思わず踏んでしまったものがある。人糞であった。辻が玄関で脱糞して、チャイムを鳴らしたのだ。「あの野郎・・・」中三川は思い切って警察に相談した。反権力の象徴である自分が、「警察力に頼るなんて嫌だ」と思っていたのだが、そうも言っていられない。それほどに辻のストーカーはひどかったのだが、「警察は民事不介入。刑事事件にならないと何もできない」の一点張りである。「他人の家の前でクソするなんて犯罪じゃないか!器物損壊で逮捕できるだろ!」と中三川は怒鳴った。自分のときは大したことでもないのに、公務執行妨害なんて大げさな罪状で現行犯逮捕したくせに、と思った。「証拠がなきゃ逮捕できませんよ。何か証拠はあるんですか?」と担当の警察官は事務的に言う。「じゃあ、ここにクソまみれのおれのサンダルを持ってくればいいのか?」「そうじゃないんですよ。本人がやったという確かな証拠じゃなきゃダメなんです」防犯カメラを設置して、辻が脱糞した現場を押さえなければ、何もできないのだという。それに、たとえ逮捕したとしても、大した罪ではないからすぐに出てきてしまう。結局、泣き寝入りするしかなかったのである。「警察の奴ら、おれが前科者だから、やる気がないんだな・・・」そう思うと、中三川は悔しかった。ようやくつかんだ人並みの幸福な家庭も、自分の前科と、辻という変質者によって破壊されてしまうのか。中三川はパンを盗んで人生を狂わされた「レ・ミゼラブル」のジャン・バルジャンを思い出した。「一度歪んだコマはどこまでも回り方がおかしいというが、一度歪んだ人生もコマと同じなんだな・・・」自嘲的にそう思った中三川だったが、ある時から急にピタリと辻のストーカーが止んだのである。
98年10月のことであった。突如、ツネが上京してきたのである。それだけなら、いつものことなので不思議でも何でもない。ところが今回は違った。いつものように大量の見合い写真を持ってきたツネは、「お前ももう今年で35だ。いい加減に結婚しないでどうする。何が何でもお前を結婚させてやっから、それまでおかんも一緒にここで暮らす」などと言い出したのである。そこにはツネの焦りと執念が感じられた。「お前だって結婚したいだろ?え?おかんがさせてやっから、好きなのを選べ。ほら・・・」そう言って、辻の目の前にドサリと見合い写真を積み重ねる。辻はうんざりしてしまった。「いいよお・・・なんなんだよお・・・ったく・・・」うつむいてブツブツ言っていると、ツネが思い出したように言った。「そうだ!お前の見合い写真、まだだったな?撮ろう!これから撮りに行こう!」「ええっ?」嫌がる辻を強引に引きずり出して、ツネは写真屋へ直行した。この時、辻は風邪を引いていたのだが、「ほらほら、善は急げだ!ユージ!」ツネはお構いなしに辻の腕をつかんで引きずっていく。鼻水は垂れるし、顔がむくんでいるのに、である。結局、出来上がった辻の見合い写真は、「とても人様には見せられない」ようなものになったのであった。
その日からツネは辻と同居することになった。おかげで辻は中三川にストーカーすることもできなくなり、「このところ、辻の野郎、来なくなったな。よかったよかった・・・」中三川の新婚生活にようやく平穏が戻ってきたのである。一方、辻はツネがいるので、「一応、会社に行ってるふりをしないと・・・」ヤバイと思い、1年半ぶりに背広を着て、ネクタイを締めようとしたのだが、「ズ、ズボンが入らねえ・・・」太りすぎてしまい、昔履いていたズボンが履けなくなっていたのだ。それだけではない。「ネ、ネクタイの締め方まで忘れちまった・・・」辻は冷や汗でびっしょりになりつつ、何とかその場をごまかそうと必死だった。「おい、ユージ。お前、また太ったんじゃないのか?え?」「そ、そんなことないよ」「見ろ、ズボンだってキツキツじゃないか。また買ってこないと。少しは痩せろ」「んだよ・・・」「おかんがいないと好きなものばっか好きなだけ食べてんだろ?だからそんなに太るんだよ」「んだよ・・・」「これだから早くいい嫁さん見っけて結婚しないとダメなんだ。分かったろ?」「・・・・・・」毎朝、ツネに小言を言われつつ家を出るのだが、「行くとこなんかない」辻なのである。ほとんど冗談みたいな自分の姿など見られたくないから、「ナカミーのとこにも行けない」と思った。毎日毎日、日が暮れるまで辻は公園で時間をつぶしたり、あてもなくうろついたりしていた。ツネにはもちろん、1年半も前に会社をリストラされたことなど話していない。もしそれがバレたら、と思うだけで目の前が暗くなるような感じがした。
「ヤバイよなあ・・・なんとかしねえとマジでヤバイなあ・・・」辻はとぼとぼ歩きながら、ツネを名古屋に追い返す方法を考えていたが、「ダメだ・・・うまい言い訳が見つかんねえ・・・」出てくるのはため息ばかりである。家に帰っても、「いつバレるか・・・」と思うと、一瞬だって心の休まる時間はなかった。そして、とうとうその時はやってきたのである。
ある日のこと。いつものように家を出た辻は、「さて、今日はどこで時間をつぶそうかな・・・」と考えつつ歩いていたが、「ユージ!どこへ行くんだ?駅はこっちだぞ!」いきなり背後からツネの声を浴びせられ、辻は飛び上がるくらい驚いた。恐る恐る振り向くと、ツネが鬼のような形相で迫ってくる。「お前、やっぱり会社に行ってないんだな!そうだろ!」この期に及んでまだ辻は言い訳できると思い、「ち、ちげえよ!行ってるよ!」と必死である。ツネはぎょろりと目玉をむいて、「じゃあこれはなんだ?これはどういうことなんだよ?」辻の鼻先に手帳を突きつけた。辻の預金通帳である。ツネは手帳をパラパラとめくって、「お前、全然会社から給料が振り込まれてないじゃないか!え?なんで振り込みがないんだよ?え?会社をサボってんのか?え?」なんとも動かしがたい証拠であった。1年半前に会社をリストラされてから、当然、給料の振り込みはない。記録されているのは、どんどん減っていく残高だけである。「え?振り込みがないってどういうことなんだよ?え?会社をクビになったのか?え?」万事休すである。もう言い逃れはできないと思った。「おかしいと思ってたんだよ。急に太ったり、ソワソワして落ち着きがなかったり。それで今日、お前が出てから後をつけてきたら案の定、このザマだ」辻はグッタリとうなだれた。「え?どうなんだよ?会社をサボってクビになったのか?え?それとも会社が振り込みを忘れてるだけなのか?え?どっちなんだ?はっきりしろ!」「・・・・・・」「え?会社が振り込みを忘れてんなら、これからおかんが行って怒鳴り込んでやるぞ。え?それでもいいのか?え?どうなんだよ?」「クビだよ・・・」「え?何?」「クビだって・・・」「え?なんだって?はっきり言え!」「クビにされたんだよお・・・」辻は泣いていた。みじめだった。通行人が何事かとのぞき込むように見ていく。悔しかったし、恥ずかしかった。「クビにされたってえ?なんでだ?いつからだ?え?なんでおかんに黙ってたんだよ?え?」辻の1年半に及んだ「自由な生活」に終止符が打たれた。ツネはわざわざ会社に電話し、辻のリストラされた事実を確認した。恥の上塗りになったわけである。
次の日から、辻の再就職活動が始まった。ツネに尻を叩かれながら、ハローワークへ行ったのである。朝からものすごい人だかりだった。戦後最悪といわれる不況の中、仕事を見つけるのは容易ではないのだろう。何日も続けて通ったが、辻を雇ってくれそうな会社はなかなか見つからない。「ったく、だからクビにされた時点でおかんに言っとけば、こんな苦労せずに済んだものを・・・」とグチるツネ。くたびれて帰ってくると、追い討ちをかけるようなツネの罵詈雑言である。辻は身も心もクタクタに疲れきってしまった。それでもハローワークへ通い続け、何とか面接までは漕ぎ着けたのだが、「辻さん、この1年半は何を?」と担当者に訊かれると、「あ、あの、あ、いや、あの、あ、はい、何も・・・」「何もしてない?」「あ、はい、あ、いや・・・」「はい、分かりました」結果は「不採用」である。他にも数社、面接へ行ったのだが、どこも結果は同じであった。「ほれ見ろ。だから言ったじゃないか。おかんに言っとけば、まだ何とかなったんだ。それを・・・」もうたくさんだと思った。辻は起き上がる気力さえ失った。「ほら、起きろ!いつまで寝てるんだ!え?行かないのか?」「んだよお・・・うるせえな・・・」「お前が働かなきゃいけないのに、なんでおかんが行かなきゃいけないんだ?え?」「もお・・・いいよお・・・」「何がいいんだ?え?お前、このまま仕事もせずに結婚もできなくていいのか?え?人生の落伍者になってもいいのか?え?どうなんだよ?」ツネは耳元で口うるさくわめきたてる。「こんなことが続くんだったら、死んだほうがマシだ・・・」何度も思ってきたことだが、やはり自分から死ぬ勇気はない。「もうダメだ・・・おれは何をやってもダメだ・・・もうどうにでもなれ・・・」辻はすっかり投げやりになってしまった。
再就職もままならず、ツネが居座るようになって、自由もない。一日中、何もせず、ただ横になってぼんやりとテレビを見ているか、居眠りをしているだけのことが多くなった。ツネは相変わらず、嫌味なことを言ってくる。「名古屋に帰れよ」と言いたかったが、言ったところで聞くわけもなかった。名古屋の実家では、老いた父・裕造がひとりで気ままに暮らしているらしい。「チクショウ・・・いつもオヤジだけ・・・」と思うと、悔しかった。ただ食って寝て、ツネの小言にうんざりするだけの毎日が続いた。99年の夏になった。体の具合がおかしい。だるくて食欲もなく、少し体を動かすだけでもおっくうなのだ。最初は単なる夏バテだと思ったが、秋になっても治らない。無理して食べると吐いてしまう。どうしようもなくだるくて、何もする気になれないのだ。「このまま死ねたら楽になれる」と思ったが、そう簡単に死なせてはくれない。「お前、病院に行ったほうがいいんじゃないか?え?このままじゃ死ぬぞ。お前に死なれたら、おかんが苦労して育てた甲斐がなくなる・・・」ツネに連れられて、ようやく病院を訪れたのが99年12月のことだった。
診断の結果は、「糖尿病」であった。それもかなり悪化しているらしい。不摂生な生活ですっかり体を壊してしまったのだ。すぐに入院が必要といわれた。冬になって風邪を引き、こじらせていた。市販の風邪薬を飲んでいたのだが、一向に回復しなかった。それもそのはず、「肝臓にうみがたまっている」というのだ。これを吸い出さないと熱が下がらないと言われた。即日入院した辻は、点滴で栄養補給を受け、体力が回復してきたところで手術を受けた。腹に管を差し込み、うみが出てくるまで安静にしていろと言われた。他にもいろいろと悪いところがあって、結局、3ヵ月も入院する羽目になった。それだけではない。糖尿病なのだから、食事制限を受けることになった。もう好きなものを好きなだけ食うことは許されない。退院後、アパートの部屋に戻った辻は、ツネの作った味気ない少ない食事を前に、「これから一生、こんなものを食わされるのか・・・」と思うと、もうつくづく生きているのが嫌になってきた。肉は一日50グラム。肉片のようだ。ご飯も茶碗に半分。薄味の野菜の煮物に果物が少々。当然、甘いお菓子などダメだ。ビールは大敵。アルコールは一切ダメ。こんな食生活がこの先何年も何十年も続くのだ。人生の楽しみがまたひとつ、失われたわけである。視力も悪くなっていたので、「テレビゲームなんかダメだ」と言われ、ツネに大切なゲームのソフトごと捨てられてしまった。あとに残されたものは、行く手に何の望みもない無味乾燥な人生だけである。「もう死にてえや・・・」と思った。「どうせ死ぬなら、何かデカイことをしてから死にたい」とも思った。
そんな中、ある事件が起こった。2000年5月3日、ゴールデンウィークの最中、佐賀県下で西鉄の高速バスが刃物を持った17歳の少年に乗っ取られたのである。乗客1人が殺害され、バスは警察のパトカーに追跡されながら、広島県内に入った。日本国中が事件の中継を見守る中、辻もテレビで事件の推移を見つめていた。乗客が殺されたと報じられると、テレビを見ていたツネは、「あんなガキ、さっさと殺しちまえばいいんだ!なんで撃ち殺さないんだ?」などと憤慨していたが、辻は別の意味で興奮していたものである。「すげえな・・・17のガキでもあんなことができるんだ・・・」事件は発生から15時間半後の4日午前5時すぎ、警官隊の強行突入で幕を閉じた。現場に閃光弾の閃光が走り、白煙の中を逃げ惑う乗客、突入する警官たち。少年は逮捕され、人質は救出されたが、事件は辻に大きな影響を与えることになる。「おれも死ぬ前に、あんなことがやってみたい・・・」と思った。社会を騒然とさせる大事件を起こして死ねれば、「もう思い残すこともない」と思った。それに、自分がそういう事件を起こせば、「おかんに恥をかかせられる。苦しませることができる」
大きな事件を起こして有名になり、「おかんに復讐できるなんて素晴らしいじゃないか」と思った。ひとり淋しく自殺したところで、「犬死になるだけだ」と思ったし、勇気を振り絞ってツネを殺したところで、「苦しみなんて一瞬で終わってしまう」と思った。自分の死を無駄にせず、なおかつ、自分を苦しめてきたツネに苦しみを与えるには、「これしかない」と思ったのだ。
辻は具体的な方法を考えた。最初は佐賀の少年と同じようにバスジャックするつもりでいた。バスを乗っ取り、乗客を人質にして立てこもる。マスコミが集まってきたところで、次々に人質を殺す。生中継の現場で人を殺すのだから、「みんなビックリするだろう」と思った。しかし、たった1人で次々に大人を殺すのは大変だと思った。抵抗されるだろうし、人質を殺し始めたら射殺されてしまうだろう。刃物程度の凶器で人を殺すのは難しいのだ。1人2人を殺したくらいでは満足できなかった。どうせやるからには、「歴史に残るような大事件」でなければ意味がない。すぐに忘れられてしまうような事件ではダメなのだ。そのためには1人で大量に人を殺さなければならない。銃器を使えば1人でも簡単に大量に殺せると思ったが、「手に入れるのが難しい・・・」のである。警察官を殺して拳銃を奪うことも考えたが、警官を殺すのは民間人を殺すのよりも難しいだろう。失敗する可能性が大きい。「もっとうまい方法はねえかな・・・」辻は来る日も来る日も考え続けた。通り魔的な犯行を考えてみた。繁華街やアーケードで次々に人を襲って殺すのだ。うまくやれば1人でも4,5人は殺せると思ったが、「少なくとも10人は殺したい」と思っていた。刃物で大人を殺すのは大変だ。火炎瓶を投げたり、車で突っ込んだりすれば、たくさん殺せるだろうが、「火炎瓶はそんなにたくさん持っていけない」のだし、「車で突っ込んでも、逃げられたらそんなに殺せない」だろうと思った。他にも電車を脱線させたり、飛行機をハイジャックして墜落させることも考えたが、「どれもこれも実行が難しい・・・」のである。走っている電車を脱線させるには、線路上にかなり重たいものを乗せなければ電車に弾き飛ばされてしまうだろうし、あまり大きすぎると気付かれて失敗する。ハイジャックは凶器の持ち込みが困難だし、1人ではパイロットに抵抗されて失敗する恐れがある。あれでもない、これでもない、と大量殺人の方法に思い悩む日々が続いた。「もっと確実に、大量に人を殺せる方法はねえもんかなあ・・・」
そんなある日のこと、辻はふと思った。「大人より子どものほうが殺しやすいんじゃないか・・・」これまで大人を殺すことばかり考えていたが、「小さなガキなら、おれ1人でもたくさん殺せる」だろうと思い、「小学校を襲って子どもを殺そう」と思ったのである。
辻は犯行に向けて準備を進めた。まず、攻撃対象となる学校だが、「大きな学校なら有名になる」ということを念頭に、F市内の学校を地図で調べた。その結果、S町の「M学園」が目に留まった。幼稚園から高校まで入っている大きな学校である。F駅でバスに乗れば7分ほどで行ける。辻は何度も下調べをした。糖尿病を患って以来、主治医から、「1日に1時間は歩くように」と指導されていたので、「散歩に行ってくる」と言って家を出れば、ツネにも怪しまれることはない。毎年11月に開かれる「学園祭」では一般開放される。辻は来客を装って校内に入り、教室の間取りをしっかりと頭に入れておいた。
2000年の暮れになった。辻の大量殺人計画は最終段階に入っていた。当初は幼稚園を襲うことを考えていた。幼稚園児ならたくさん殺せそうだし、先生も女ばかりだ。しかし、手書きの見取り図で検討した結果、「幼稚園だと、北門の守衛室に近いから、すぐに捕まってしまう危険がある」と判断し、「やはり、小学校の低学年を襲うのが一番だ」と思った。凶器については、「肉厚の大きな刃物で首を狙って切りつければ、頚動脈を切断し、出血多量で即死する」だろうと思い、事前に学園前のホームセンターを物色した。目当ての牛刀はすぐに見つかったが、「買うのは決行当日にしよう」と思った。買って自宅に隠しておけば、「いつ何時、おかんに見つかってしまうか分からない」からである。辻も慎重になっていた。ツネには大量殺人計画を、「毛筋ほどにも悟られてはならない」のである。計画が最終的にまとまると、手書きの見取り図はトイレで燃やして流した。すべては頭の中に叩き込んであった。最後に、決行の時期については、「年明け早々だと3学期で休みも多い。やるのは新学期になって落ち着いてから」と考え、「2001年の春、5月か6月に決行」と決めたのである。それまでの半年に、辻はできるだけ自由を味わっておこうと思った。
家では味気ないものばかりなので、「散歩がてらに・・・」気付かれないよう、ひそかに、ファミレスで好きなものを飲み食いした。大好物のハンバーグも食った。ずっと飲めなかったコーラも飲んだ。ただし、アルコールは気付かれてしまうので、我慢した。もっとも、ずっと飲んでいないと、「そんなにビールも飲みたいとは思わない」のだから不思議だと思った。
年が明けて2001年を迎えた。辻はとにかく体力を養うことにしていた。毎日散歩に出かけた。以前は300メートルも歩くと息切れして、汗だくになっていたのが、「今では1キロでも2キロでも歩ける」ようになっていた。自宅から犯行現場となるM学園まで歩いてみた。往復するとかなりの距離だったが、「息も切れないし、あまり汗もかかない」のがうれしかった。何気ない街の風景も心に残った。「こうして自由に歩けるのも、今のうちなんだ・・・」と思うと、残された時間を精一杯生きたいと思うようになった。今まで味わったことのない爽快な気分だった。それと比例して、「このまま生きたい・・・」という思いも強烈になっていったが、「生きてみたところで、また生きるのが嫌になってくるだけだ」とも思った。ツネは毎日のように嫌味なことを言ってくるし、名古屋に帰ってくれる見込みもない。「どうせ、生きてみたところで同じだ」と思った。それより、「命がけの復讐を果たして死ねれば本望だ」と思った。「おかんはまだ何も知らないんだ。今に見てろ。ふふふっ・・・」そう思うと、自然に笑みがこぼれた。「なんだ?何がおかしいんだ?」「別に・・・」「今、笑ってたじゃないか。え?何かあったのか?」「なんでもないよ・・・」と言いながら、辻は心の中で笑っていた。そんな辻を見ているとツネは、「やっとユージも働く気になってくれたのか・・・」と思い、うれしくなってきた。ツネはひたすら、辻が立ち直ってくれることを待ち続けていたのである。「病気をして、摂生するようになって、ユージも考えを改めたみたいだな・・・」と思った。「これなら、仕事を見つけて、働いて、結婚して、人生をやり直してくれる・・・」と期待した。「よし、そんならあたいもまだまだ死ねないぞ・・・」ツネも元気になってきた。5月、ツネは辻を連れて伊豆の温泉を旅行した。これが親子水入らずの最後の時間になることなど、ツネは夢にも思わなかった。
旅行から帰ってきて数日後、ツネは思い切って切り出した。「ユージ、そろそろ働いてみないか?」辻は食事をしていたが、ピタリと箸が止まった。「お前も体の具合が良くなってきたし、そろそろ働いてみたらどうだ?」ツネはさりげなく、お手柔らかに言ったのだが、辻の表情は浮かない。「どうだ?え?いきなり会社勤めをしろって言ってんじゃないんだ」そう言って、ツネはスーパー「M」のチラシを持ってきた。「ここの店で店員を募集してるそうだ。週に何日でもいいんだ。働かないか?」「・・・・・・」辻の返事はない。「さては、気付かれたか・・・」と思った。ツネに犯行計画を悟られたのではないか、と思った。伊豆旅行の話を持ち出されたときも、渋々ながら承知した辻だったが、「もしかしたら、おれがやろうとしていることをやらせないつもりなのか?」と勘繰った。「まさか・・・でも、旅行の話をしたり、今度は仕事の話をしたり、どうもおかしい・・・」辻は内心、焦り始めた。ツネはM小学校襲撃計画を阻止しようとしているのだ、と思った。「え?どうなんだ?お前もやる気が出てきたんだろ?え?毎日どっか行ってるじゃないか・・・」もちろん、ツネは辻の犯行計画など知らない。ただ、最近の辻の積極的な行動から、「ユージも働く気になったんだろう」と思い込んでいるに過ぎない。ツネがどう思っているのかは辻も知らない。疑心が暗鬼を呼ぶ。「毎日どっか行ってるじゃないか・・・」という言葉に引っかかった。「やっぱり、おかんはおれがMへ行ってることを知ってるんだ・・・」辻は青ざめた。リストラがバレたときも、ひそかに後をつけてきたツネのことだ。散歩に出かけた自分を尾行していたのだ、と思った。「やべえな・・・こうなったら一日でも早く、計画を実行に移さねえと・・・」だが、うかつなことはできない。ツネが外出したときでなければダメだ。1年がかりの計画なのだ。ここまで来て失敗するわけにはいかない。「焦るな、焦るな・・・」辻は自分に言い聞かせた。
しかし、その後もツネのしつこい催促は止まない。行動も監視されているようだ。何もできずに6月になった。7月に入れば夏休みだ。何が何でも6月中には計画を実行に移さなければならない、と思った。6月10日になった。この日、ツネはいつまでも動こうとしない辻にしびれを切らし、激しく辻を責め立てた。「お前、いつんなったら働くんだよ?え?いつまで待たせりゃ気が済むんだよ?え?」辻は何も言えずにうつむいている。そんな辻がツネはじれったかった。「え?先月は旅行にも行ったじゃないか!毎日どっか行ってたじゃないか!え?なんで仕事だけできないんだ?え?重労働しろって言ってんじゃないんだよ!スーパーで週何日でもいいから働けって言ってんだよ!え?そのくらいのことがなんでできないんだ?え?甘えてんのか?」ツネは理解できなかったのだ。辻がなぜ意気揚々としながら、働こうとしないのかを。
「お前、このまま何にもしないでどうするつもりだ?え?働かないのか?え?結婚もしないのか?」「・・・・・・」「スーパーで働くなんて、大したことじゃないんだ。ちょっと荷物を運んだり、片づけしたり・・・病気持ちなんだから、そんなにキツイ仕事はさせないでくれっておかんが頼んでやるから・・・」「・・・・・・」「とにかく、明日、おかんが行って聞いてみるから、働くんだぞ?え?いいな?・・・」辻は覚悟を決めた。もう明日やるしかない。ツネが出かけた隙にやるのだ。このチャンスを逃がしてはならないと思った。
そして、運命の2001年6月11日を迎えた。辻は計画通り、M小学校を襲撃し、8人を殺害して逮捕された。「少なくとも10人は殺したかったが・・・まあ、8人でもいいや。歴史に残る大事件なんだからな・・・」これでツネに対する復讐は果たせたと思った。自分のやったことで、ツネは一生、苦しみ続けることになるのだ。もう思い残すことはなかった。あとは一日でも早く死刑になって、この「復讐劇」を見事に完成させたかった。辻は起訴され、裁判を受けるにあたって精神鑑定を受けることになった。鑑定の結果、「妄想性人格障害、非社会性人格障害、情緒不安定性人格障害」と診断されたが、「死ぬのは怖くない。死刑になるのは覚悟している」と話したことから、「極めて重度の人格障害だが、責任能力は十分に問える」と判断されたのである。
2001年12月14日、東京地裁で辻の初公判が開かれた。初めて被害者の遺族の前に姿を見せた辻は、「裁判長。裁判の前に遺族の皆さんに言っときたいことがある」と言い、遺族の方を向いた。8人の子どもを惨殺した凶悪犯だが、さすがに悪いと思い、謝罪の言葉を口にするのか・・・。誰もがそう思った、次の瞬間、辻の口から信じられない言葉が飛び出した。「あー、えーと、遺族の皆さん。おれは、あんたらのガキに感謝してる。マジだよ。マジで感謝してる。だって、あいつら、おれが死ぬために死んでくれたようなもんだからな。おれは正直、死ぬのが怖い。自分で死ぬ勇気なんてないんだ。だから、あんたらのガキに死んでもらって、国に殺してもらおうってわけだ。あんたらのガキは踏み台だよ。おれが死ぬための踏み台。それだけの価値だよ。あのガキどもも、あの世で満足してると思う。おれのために役に立てて死ねたんだからな。ご苦労さん・・・」辻の暴言に、遺族たちは言葉を失い、我が子を殺された母親は卒倒した。「あの人でなしが死刑になっても満足しません。私たちの手で八つ裂きにしてやりたい・・・」公判後の記者会見で、被害者の木内裕也の父親・勝彦は声を震わせながら語った。
辻の弁護人を務めた川久保恵市弁護士は、「なぜ、あのような事件を起こしたのか、君自身の口から語ってほしい」と公判で辻に呼びかけた。それは、川久保やツネだけでなく、被害者の遺族も望んでいたことだったが、辻は何も語らなかった。出廷したツネは、「自分は無学で、社会に出て苦労しました。息子にはみじめな思いをさせたくない、ただその思いで、息子には出来る限りのことをしてきました。なんで息子がこんなことをしたのか分かりません・・・」と語り、泣き崩れた。そんなツネを冷ややかに見ながら、「ざまあみろ。もっともっと苦しめ。こんなのおれが味わってきた苦しみに比べりゃ、どうってことない」などと思っていた。みんなが怒ったり、悲しんだり、苦しんでいる様子が、たまらなく面白いのである。
一方、中三川は辻のストーカーが止んで、すっかり辻のことなど忘れていたのだが、「まさか・・・辻の野郎が・・・」2001年6月11日、テレビのニュースで事件を知って、少なからずショックを受けた。「あいつは一体、どこへ行こうとしていたのか・・・」本人は死刑を希望しているという。死ぬことが分かっていながら、「なぜ、あんなことをしたのか?」であった。考えてみたが、まったく理解できない。「奴は死にたかったのか?それとも、人生に意義を見出せなかったのか?・・・」自分の姿と重なるような気がした。「人生の意義」を求めて学生運動に飛び込み、約束された人生を棒に振ってしまった。そのことを後悔してはいない。今はこうして結婚し、愛する妻と3歳になったばかりの息子がいる。今更、この人生を捨ててまで意義を求めようとは思わなかったのだが、「おおっ!・・・」2001年9月11日、ニューヨークからさらなるショッキングな映像が飛び込んできた。ハイジャック機の突入、ビル崩壊、そしてアメリカの報復宣言。衝撃的なシーンを何度も見ているうちに、長らく忘れていた闘争心を掻き立てられた。アメリカの激しい報復感情の矛先はアフガニスタンへ向けられている。戦争は時間の問題であった。「こうしてはいられない!」中三川は奮い立った。知り合いの小島アブドゥル健太郎という男は、「アフガンへ行ってアメリカと戦いますよ。これはイスラム教徒の義務です」と言い、中三川にも、「どうです?あなたも一緒に戦いませんか?」と持ちかけてきた。小島はトルコ人の父親と日本人の母親を持つムスリムであった。都内の高校で世界史を教えていたのだが、学校のトイレでアラーへの祈りを捧げていたのを見つかって生徒にバカにされてしまい、教職を辞した。「おれは世界のムスリムと連携して戦うぞ!」そう叫んで、日本を飛び出し、ボスニアやチェチェン、アフガンでイスラム戦士として戦った。アフガンではビンラディンにも会ったし、アルカイダのキャンプで訓練も受けた。たまたま雑誌の取材で知り合ったのだが、親交を深めていくうちに、「いい奴だな・・・」と好意を寄せていたのである。小島に激励され、若き日の闘志が再び燃え上がってくるのを感じた中三川は、「よし、おれも闘うぞ!米帝の侵略に対抗し、アフガン人民と連携するぞ!」と決意し、幸せな家庭も平和な暮らしも捨てて、小島とともにアフガンへ飛んだのである。テロから10日後のことであった。「君には感謝している。息子のことをよろしく頼む。おれのことは忘れてくれ・・・」という置手紙を残し、忽然と姿を消してしまったのである。10月8日、アメリカはアフガン空爆を開始。圧倒的な軍事力に押され、イスラム原理主義のタリバン政権は崩壊。12月にはアフガン南部のカンダハール付近で小島が米軍に拘束された。小島はテロリストとして、キューバのグアンタナモ基地へ連行されたが、中三川の消息は不明のままだった。「あなた・・・一体どこへ行っちゃったの?・・・」妻・千鶴は自分と幼い息子・等を残して消えてしまった中三川の身を案じ続けた。中三川の生死はまったく分からなかった。1年たった。突然、中三川の生存情報が千鶴のもとにもたらされたのである。
2002年10月のことであった。中三川はアフガニスタンとパキスタンの国境地帯、いわゆる「トライバル・エリア」のイスラム指導者のもとにかくまわれていたところ、パキスタン軍に拘束されたのである。当初、中三川は「アリ・ハッサン」と名乗り、アラブ人を装っていた。痩せこけてヒゲは伸び放題だし、ターバンを巻いてそれらしい姿をしていたのだが、「お前、日本人だろう?」「いいや、おれはアラブ人だ」中三川は頑として認めようとしなかったが、拷問にかけられると、「お、おれは、日本人だ!アイ・アム・ジャパニーズ!」と叫んでいた。あまりにも苦しかったからである。裸にされ、電気ショックによる拷問を受けたのだ。性器にも電気を流された。パキスタンのような国では日常茶飯なのだが、日本の警察で紳士的に扱われてきた中三川などひとたまりもない。中三川はほとんど廃人のようになって、日本に帰ってきた。「お帰りなさい。あなたが生きて帰ってくることを信じていたわ・・・」千鶴にあたたかく迎えられても、うつろな目をして、黙りこくっている。1年ぶりで妻の体を求めると、中三川は泣き出してしまった。「あなた、どうしたの?」「おれは、おれは、もっと強い男だと思ってた。なのに、あんなに簡単にゲロして、生きて帰ってきた。情けない。自分が情けなくて許せないんだよお・・・」悔やんでも悔やみきれなかった。「負けた・・・おれは、自分に負けた・・・情けない・・・本当に情けない・・・」中三川は千鶴の胸の中でオイオイ泣き続けた。
2003年9月1日、東京地裁は求刑通り、辻に死刑の判決を言い渡した。関口秀見裁判長は辻の犯行を、「被告人の動機には寸毫も情状酌量の余地はない。本件は我が国の犯罪史上でも稀に見る凶悪で重大な犯罪である。真摯な謝罪や反省の態度もなく、極刑をもって臨む他はない・・・」と厳しく断罪した。辻にとっては本望だっただろう。2週間の控訴期限が迫る中、9月12日、弁護側は控訴したが、「先生、やめてくれ。おれは死にたくてやったんだ。控訴なんてバカバカしいことはやめてくれ・・・」と言い、川久保の説得にもまるで耳を貸さず、9月29日、控訴を取り下げた。これにより、辻は一審で死刑が確定したわけである。その後まもなく、辻の身柄は東京拘置所から名古屋拘置所へ移送された。名古屋は辻の故郷である。「名古屋に移されたってことは、もうすぐ死刑になるってことだろうな・・・」と思った。「早いとこ死刑にしてくれ。もうこの世に未練もない・・・」と思っていた。
2004年3月14日、川久保が面会に訪れた。「先生、何の用だね?もう裁判は終わったんだ。用なんかないだろう?」「いや、まだあるんだ。君の口からまだ聞かせてもらっていない」「謝れってか?無駄だよ。おれは謝らん。死んだって頭なんか下げてやんねえぞ」辻はせせら笑って言った。謝ったら負けだと思っていた。みんなを苦しませるのが面白くて仕方なかった。「君はお母さんが憎くてやったんだろう?違うのか?」「そうだが?それがどうしたって言うんだ?」「相手を憎むということは、それだけ相手のことを強く思うということだ。つまり君は、お母さんを憎みながら愛していたんだ。愛おしくてたまらないのだろう・・・」意外な答えだった。辻は見る見る顔色を変えた。「おれがおかんを愛しているだってえ?じょ、冗談じゃねえや!」「いや、君はお母さんを愛している。お母さんしか愛することができないんだ」
川久保が挑戦的に言った。「君は心からお母さんを愛したんだ。お母さんも君を心から愛しているんだ。私は君のお母さんにそう伝えておくよ」「ふ、ふざけるな!おれはおかんを愛しちゃいねえ!憎んでるんだ!心から憎んでるんだあ!」「憎悪は愛情の裏返しだよ。君は心の底からお母さんを愛した。これでお母さんもみんなも救われるだろうよ」川久保は勝ち誇ったように言った。辻はツネを殺したいほど愛していた。そう言ってやることで、辻の「復讐劇」を終わらせようと思ったのだ。このまま辻を死なせれば、辻を満足させてしまうことになる。それでは無残に殺された被害者が浮かばれない。辻を満足させてはならないのだ。それは弁護士である川久保の「最後の賭け」であった。そして、辻は最後の最後で負けたのである。「私は君の心中が理解できなかった。ずっと考え続けてきた。そして分かったのだよ。君は自分しか愛せない男だ。他者への共感や思いやりなど微塵もない。だが、君は愛を否定することで、自分を愛してきた。つまり、君は愛を肯定されることで、自分を愛せなくなるんだ」「・・・・・・」「君はずっと自分の存在を否定されてきた。ゆえに、この世の中で自分を愛せるのは自分しかいないと思っている。不幸な自分を愛することで、君は自己満足に酔ってきたんだ。違うか?」「だ、だから、なんだってんだ」「つまり君は、愛されていない自分を愛していたんだよ。ところが、君のお母さんは君を間違いなく愛している。君にはお母さんの愛が重すぎた。ゆえに、お母さんの愛から逃れようと自分の世界に引きこもってしまった・・・」「・・・・・・」「そこには自分に対する愛しか存在しないはずだった。ところが、君はお母さんを困らせようとして、復讐劇を計画した。構ってもらおうとして、子どもがわざといたずらをするのに似ている。結局、君はお母さんの愛から逃れられなかったのだよ・・・」辻は絶対的な自分の価値観が音を立てて崩れていくのを感じていた。「もう会うこともあるまい。君の魂が救われることを祈っているよ・・・」川久保は去った。辻は大声で怒鳴り、暴れ狂った。「チクショー!おれは誰も愛しちゃいねえぞ!みんな敵だ!みんな死ねっ!クソーッ!・・・」
2004年9月1日、ロシア・ベスラン学校占拠事件発生。チェチェン武装勢力が学校を占拠し、児童ら千人以上を人質にした事件は3日、ロシア軍の突入で人質に330人以上の犠牲を出す惨事となった。事件は世界中に衝撃を与え、日本でも大きく報じられた。法務省刑事局はひそかに死刑執行計画書を作成した。「この時期ならば、死刑を執行しても、死刑反対派の批判を抑えられる・・・」と判断し、選ばれたのが辻であった。
2004年9月14日、火曜日。名古屋拘置所で辻の死刑が執行された。刑の確定から1年足らずでの執行は極めて異例である。この日の朝、独房から出された辻は、「最期に何か言い残すことはないか?」と所長に問われると、「ない。何もない・・・」かすれた声でそう答えるのが精一杯だった。後ろ手に手錠をかけられ、目隠しをされて、首に縄を巻かれながら辻は、「川久保の野郎、余計なことを言いやがって・・・チクショウめ・・・あいつさえいなけりゃ・・・」おれの復讐は成功したのに、と思った。午前9時30分、死刑執行。40歳だった。
その日の昼前、ツネは、名古屋拘置所の所長から、電話で辻の死刑執行を知らされた。事件後、ツネは名古屋へ戻り、裕造とふたりで、人目を避けて、ひっそりと暮らしていた。「まさか・・・こんなに早く・・・」いずれは来るだろうと覚悟していたことだったが、意外に早い刑の執行にツネは驚き、落胆した。「ユージ・・・お前も、裕一も、なんでこんな早く、おかんを置いて、あの世へ逝っちまうんだ・・・」長男は自分の誕生日に自殺、そして次男は自分に恨みを残して処刑されてしまった。「もう、生きていてもしょうがない・・・あたいも死のう・・・」と思った。そこへ、知らせを受けた弁護士の川久保が東京から駆けつけてきたのである。「あれ、先生・・・」「お母さん、死んじゃいけませんよ」「でも先生、あたいはユージが生きがいだったんです。あの子に死なれたら、もう生きてても別に・・・」「お母さん、それは違う。息子さんはあなたを愛していたんです。あなたを憎みながらも愛していたんです。息子さんは死ぬまで、あなたのことを思い続けていた。あなたもそうだ。だからこそ、あなたは生きるしかないんです。生きて生きて、もっと愛される存在になるべきなんです」「先生・・・あんたは立派だよ。もっと早く、先生と出会えていたら・・・」自分も、ユージも、違う人生を歩めたかもしれないのに、と思うと、涙があふれた。
終わり

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